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事業用テナントは渥美不動産へ

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渥美不動産とは?

野口町にある小さな小さな不動産屋です。
22歳から独立することを念頭に賃貸業界5年、注文住宅3年、分譲住宅5年と業界で13年こつこつと修行し
35歳にしてやっと独立することが出来ました!
事業用テナントや借地、
土地や建物の売買なんかをやっています

 

不動産屋を目指した原体験

学生の頃よりバンド活動に勤しんでいました、
若さゆえ勢いもあり高校を卒業したら上京してバンドやってく! なんて事を本気で考えていまして 
学校を卒業し 昼も夜も仕事をしながら1年で100万円貯金し進出への軍資金を貯める事に成功します

これで無事東京へ行く資金もテンションもMAXな状態です、
ただ まず一番に始めることは住処を探さないといけません 部屋探しの為 一時的に上京するわけですが

『部屋ぐらい簡単に決めて 
帰って引っ越しの準備をしよう!』

…ぐらいにしか考えていない私に早速の試練が襲います。
訪れる不動産屋さん各所に全く相手にされません 東京で裸一貫と言えばカッコイイ響きにはなりますが
私が東京に来たら単なる夢見る無職の若造でしかありません 要するに無職に部屋は貸しませんと言う事になります。
私の住もうとした高円寺は売れないバンドマンや役者さんが多く住む一種のサブカルの町の代表格でしたので
余計にこんな所から躓くとも夢にも思いませんでした。

10件以上周っての門前払いは20歳頃の若造には堪えます 心も折れかかった所にボロ小屋の建物が目に入ります
看板には消えかかった文字で不動産と書いてあり とにかく部屋を借りないといけない私は その小屋に入るなり一声、

『すみません、この辺りで部屋を探しています…』

小屋の中には お年寄りが1人いるだけでした 怪訝な表情で凝視されたのを覚えています

『うん、まぁ…座りなさいよ』

心細い部分もあったと思いますが その言葉に安心した私は どうしても部屋が必要なことや
どこの不動産屋さんにも相手にされなかった事を吐き出すように話しました

『そりゃ、誰も貸してくれるワケないよ!』

とお年寄りに一喝され 私の心は更に折れ曲がりました。
ただ 続けてお年寄りはこうも言いました

『何とかしてやるから 
ちょっとついてきなさい』

言われるがままについて行き、とある別の不動産屋さんに入っていくなり年配の上品そうな女性に何か話をしています
後々 その女性が大家さんだという事が分かるのですが その時の私には何をしているのか分かりません、
話が終わり、これまたボロボロのアパートに連れて行かれます

河村荘 風呂なし キッチン4帖 和室6帖 和式トイレで家賃45,000円 私の1人暮らしスタートのイメージとは大きく違いましたが

『ここからスタートすればいいじゃないか』

との一言に 感謝の気持ちしか出てこなかった事と 
ここで頑張ろうという気持ちになりました。

無事 契約も完了し、お年寄りの不動産屋さんも

『あんたがこの部屋に入る前にトイレも洋式にしておいてやるから 荷物だけ持って引っ越してきなさい』

その言葉を胸に帰郷し、
数日で浜松での身辺整理も終えて引っ越しします
初めての1人暮らし 
初めて自分のお金で生活する事が始まります
(ただ洋式トイレに設計ミスがあり 
トイレに座るとドアが閉まらなかった事だけが誤算でした)
東京には学生時代の友人も居ましたが 幾度となく そのお年寄りの不動産屋さんにお世話になる事になります

・風呂なしのアパートだったので銭湯を紹介してもらったり ・病気になれば 病院を教えてもらったり ・高円寺のお店を教えてもらったり
東京に身寄りのない私には十分すぎるぐらいのケアをしてくれました。

何となくその頃から おもしろい仕事だなって認識していた部分もあったのだと思います。
色々あって浜松に帰った私が あの おじいちゃんの不動産屋さんみたいな仕事がしたくて賃貸の仕事を始める事になります。
今もどこかで あのおじいちゃんの影を追っているというか 自分の不動産業に対する礎になっています。

人生の転機の中で不動産屋の果たす役割の大きさは人それぞれですが
なるべくして人の人生に残る人でありたいと思います。

PROFILE

渥美不動産 代表 渥美智也

株式会社渥美計画舎
代表取締役
渥美 智也 Tomoya Atsumi

1981年6月18日生まれ 出身地・静岡県
資格  宅地建物取引士
趣味&特技 ベース ランニング 柔道初段
好きな食べ物 チーズ 辛いもの